七 福 伝 |
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私のドラム人生は、今思えば中学校時代が始まりだった。 ある日ラジオから流れていた、とある音楽の2拍のフィルインに いたく感銘を受け、それ以来しばらくの間は木の枝を拾ってきては、 布団だの部屋の壁だのを衝動まかせに叩いていた。 その頃は、まだドラムセットの形、演奏方法など知る由も無い。 現在ほど、VTRなどのメディアによる教材などは無かったので、 ザ.ベスト10や夜のヒットスタジオなどの番組を、目玉を5センチほど 前に出し(これ嘘)ブラウン管の中にめり込ませて(嘘)..... 要するに、歌番組で一瞬だけ写るドラムを見て、ドラムセットの形や 基本的な奏法などを覚えていった。当然、その頃流行っていた今で言う J-POPが私のレパートリーになっていった。今になってその頃の 歌謡曲を聴いてみると、曲の骨格、アレンジなどがとてもしっかり しており、それらをコピー出来た私はとてもラッキィだったと思う。 高校に入学後、間もなく洋楽好きの友達に出逢う。 2秒で意気投合し、バンド結成。高校一年生の分際で自主コンサートを 開催し、TOTOの 愛する君に、ジョージーポージー ハイドラ、 ST.ジョージ&ザ ドラゴンなどを演奏。随分マセたガキであった。 その後、ジャズ、クロスオーバーなどにも傾倒し、どんどんポリシーが 無くなっていく。今考えると、その頃に独学で身に付けた事が、現在の 自分の引き出しに入っているように思う。 奇跡の大学合格。商学部商学科。 全くもって勉強する気は無い。でも講議には真面目に通い、せっせと 単位修得に励んだ。傍ら、 高校時代のバンド仲間の紹介で、 近所の楽器店のドラム教室の講師をつとめる。 一年程後、他の楽器店の店長からヤマハ音楽院を勧められる。 そこに入って修了すれば、ヤマハの講師になれるとの事だった。 3秒考えて入学を決意。大学に通いながら、音楽院にも通う生活が始まる。 伊藤孝志氏、藤田伸彦氏に師事。 大学4年の時にヤマハポピュラーミュージックスクール講師資格取得。 以後、音楽に浸かりまくり現在の演奏活動としては、 パラライズ、瞬間の轍(ときのわだち)、フクちゃんプロジェクト等、 ハードロックからクロスオーバーまで多岐にわたり、 関東、関西、中部のライブハウスを中心に活動している。 参加アルバムは、『ONE 2 THREE』(パラライズ) 『6 Flagment story』(瞬間の轍) 『Pharm』(宇井かおり) など |
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